最近wowowのオンデマンドという便利なシステムを知って、「フライト」という映画をパソで鑑賞しました。
ぼくはあんまり楽しめなかったんだけど、すごくよく出来た映画です。
で、そんなに好きな映画じゃないんだけどなんでここに書こうと思ったかというと、これ、アル中でコカイン中毒の凄腕パイロットの話なんですよね。映画なんでデイゼルワシントン演じる主人公は最後の最後に自分なりの救いと人生の結論を導き出すんですけど、全編130分のうち、120分間は落ち込みや窮地をアルコールやコカインで助けられ、いい女とセックスして、暴れて、自暴自棄になる快楽に浸るという描写が続きます。
ここで飲んだらおしまいだろってところでも飲んじゃって、コカインで立ち直るみたいな描写もあります。
ぼくはお酒が飲めないですけど、この映画はアル中の人や、アル中から脱却して酒断ちしている人が見ちゃったら、きっとまたお酒が飲みたくなるんじゃないかって思った。作り手たちはアル中やコカイン中毒の患者を救いたくて作ったわけじゃないと思う。戦争映画が、120分中100分くらい迫力ある戦闘シーンを見せて、最後に「やっぱり戦争はよくないよね〜」って終わらせるみたいなのに似てるかな。
でもね、だからってこの映画のリリースをするなっていうのはちょっと違うってのは誰だってわかりますよね。
いろんなことをリアルに、真摯に描きたい、あとは見る側の判断なんだってスタンスは、どんな創作物でもそうなわけです。
見る側、選ぶ側は、見ない、お金を出さない、テレビのチャンネルを変える、これは見るべきではないと自分の意見を発するという選択肢があるんです。
「このテレビを見て子供が傷つくからこのテレビをわたしは子供たちには見せるべきではないと思います、みなさんも是非そうしてください」という意見を発するのは正しいと思うけど、「このテレビを作ってるやつらは、作るの中止にしろ」っていうのはなんだかとっても大きな勘違いで、そこをちゃんとメディアの方も理解して、意見の拡散をしてほしい。
ぼくにだって、自分の子供に見せたくないもの、見て欲しくないものはいっぱいあるけど、もしも自分の子供が「あれを見たからマネしてこんなことやっちゃった」と言っても、それはお前がお前の判断でやったことで、作って見せた側を攻めることはできないと言います。
例えば、もしも「盗んだバイクを」という歌をきいたからバイクを盗んだという子供がいたとしたら、「盗んだバイク」という歌を作るのをやめろというのはまったく奇妙で、歌のセイにしても罪はマネをしようとしたおまえにあると言ってやらないとその子供は何かをずっと何かのセイにして生きることを覚えてしまう。
こんな長い文章書いてもまったく意味ないとは思うけど、メディアの中で働く方たちに少しでも良心というものがあったら、こういうことを少しでいいから考えてほしい。
だからって「ギフト」が封印されてしまっていることが間違っているという気はありません。あれこそ、作った側の「自粛」ってことなんでしょうから。
昔のことですが、少年たちの模倣犯罪が世界的に増えてしまって、キューブリックが自己判断で「時計仕掛けのオレンジ」の上映を中止したという話もあります。
よいものをリリースするかしないかは、作り手の姿勢であって、これはまた別の問題です。
一緒に語られるべきじゃない。